ノアといいます。
主にカナダでの留学経験を投稿しています。
本記事では、僕の自己紹介をさせていただきます。
自己紹介
現在(2023年時点)高校1年生の男子です。
東京都(あまり都会じゃないところ)出身です。
弟と妹が1人ずついます。
好きなゲームはポケモン、好きなスポーツはサッカー、好きなボードゲームは将棋です。
ノアのカナダ留学日記とは
カナダでの日常を日記のような感じでまとめたブログです。
・日本とカナダで違うこと
・語学で困ったこと
・楽しかったこと、うれしかったこと
・カナダで生活していて気づいたこと
などをまとめています。
ブログを書こうと思った経緯
ブログを書こうと思ったのにはあまり深い理由はありません。
せっかくカナダに留学するんだから何かに記録を残しておきたい!と思ったのと、
こういう活動をしておけば将来役に立つかもしれない、と考えたというのが主な理由です。
あと、留学のためにとった学生ビザではアルバイトができないので、お小遣い稼ぎになったらラッキーだと思った、というのもあります。
カナダ留学のための準備
僕は、海外の現地の高校に進学したいと、中学1年生の夏ごろには考えていたので、早い段階からいろいろと情報収集を行っていたのですが、インターネットだけではなかなか情報が集まりませんでした。
特に僕の場合は、夏休みだけ海外に留学して語学学校に通うというような『短期留学』や、夏休みだけもしくは1年だけ現地の高校に通い、その後日本の高校を卒業するというような『交換留学』ではなく、
海外の現地の高校に進学し、卒業するというような『卒業留学』とよばれるレアなケースだったので、僕の情報収集能力ではムリでした。
というわけで、留学エージェントの力を頼ることにしました。
(留学エージェントとは、留学の手続き全般(ビザの取得や学校への出願手続きなど)を代行してくれる代理店のことです。)
たまにYou-Tuberの方で、留学エージェントなしで留学しているという方がいますが、本当にすごいなぁと思います。
3年生の夏ごろにはエージェント会社を留学ジャーナルさんに決めました。
留学ジャーナルさんは、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの、アメリカやイギリスに比べコスパが良いとされている国を得意としているエージェント会社さん(だったハズ)です。
僕の家庭も、もちろん湯水のようにお金があるわけではないので、コスパが良いという点が決め手となり、留学ジャーナルさんを選ばせていただきました。
(案件とかではないです。)
行先は、治安の面である程度安心できるカナダに決め、留学ジャーナルさんに、パスポート取得や、入学願書、ビザ申請などの手続きを代行していただいたり、高校選びや語学学校、ホームステイ先の手配などをしていただいたりしました。
カナダの高校は通常、市ごとに教育委員会があり、それを学区と呼びます(バンクーバーならバンクーバー学区、トロントならトロント学区など)。
出願の方法を大まかに説明すると、最初に、自分が行きたい高校が所属する学区に、成績証明書、校長先生と担任の先生からの推薦状などを提出し、出願。
次に合格通知が来たら、パスポートやビザなどの申請を行う、というようなものでした。
(学区にもよりますが、筆記テストや面接はありませんでした)
僕は内申点に関しては良かったので、第一志望の高校に合格することができました。
高校はバーナビー学区(バンクーバーの東隣に位置する町)、語学学校はバンクーバーの学校を選びました。
英語の勉強は、文法力は英検2級相当のものがあったので何もせず、時間経過で忘れてしまっていた英単語をやり直したり、スピーキングとリスニングのためにネイティブキャンプさんで、1日1回だとしてもオンラインだとしてもいいから、英会話をするようにしていました。
留学したいと思った経緯
昔のことを語らせていただきます。
小学校時代
公立小学校出身です。
低学年
平日は、学童保育には通わず、友達や3、4学年上の先輩と晩ごはんの時間までサッカーをし、土日は、地元のサッカークラブ(保護者の方々が運営してくださっていました)で練習や試合をしていました。
夢はワールドカップとチャンピオンズリーグ(欧州)の両方で優勝することでした!
中学年
低学年のころにお世話になっていた地元のサッカークラブは土日・祝のみの練習、試合(それでも十分ありがたかったです)で、もっとサッカーをしたいと考えたノア少年は親に相談し、家から少し離れたクラブチーム(サッカーを教えることで、利益を出すことも目的とした、より本格的なチーム)に通うことになりました。
そこでの練習は、木曜日以外毎日行われる、かなりハードなものでした。
そのこともあって、都大会にも出場するようなチームで、レベルが高く、レギュラー争いが激しかったです。
高学年
身長が伸び悩んだこともあって(もちろんそれだけではない)、レギュラー争いからだんだんと遠のいてしまい、練習に身が入らなくなったノア少年は、「中学受験がしたい!」という口実で、そのクラブチームをやめてしまいました。
そして、その中学受験も、あくまで口実ですから、勉強なんてしませんでした(両親には本当に申し訳なかったです)。
そして、塾すらも辞めて、学校に行くこと以外何もしない生活が始まりました。
今まで、サッカー以外何もしてこなかったノア少年は、自分にはもう何も残っていないと考え、劣等感のようなものを感じていました。
そんな時、母がボストンに留学していたという話を聞き、大学から留学する人は多いけれど、高校から留学すれば自分も特別な人になれるかもしれないという思考で、英会話に通わせてもらいました。
そして父に、せっかくサッカーを頑張ってきたんだから、趣味としてでもいいから続けてみてはどうかと言われ、サッカーをすること自体は好きだったので、もう一度地元のサッカークラブに入らせてもらうことになりました。
そこからは、金曜日は英会話、土日はサッカーという生活が始まりました。
中学校時代
中学校時代も、家から一番近い公立中学校に通っていました。
1年生
1年生時は新型コロナウイルスの影響で、三か月の休校期間があり、授業が全く受けられませんでした。
また、休校期間が明けても、分散登校という形で授業が午前にある人と午後にある人に分けられ、クラス全員が揃うことはありませんでした。
そして、1か月ほどの分散登校を経て、ようやく従来の中学校生活がスタートしました。
その中学校は、公立だったのですが、区の教育委員会がオーストラリア留学を実施していました。
サッカーは続けたかったのでサッカー部には入部しましたが、高校留学のためにも、それに参加したいと考えた僕は勉強を第一に頑張ろうと思い、習い事をすべてやめました。
そして、留学のために英検4級からコツコツと勉強と受験を繰り返し、3級まで取得しました。
しかし、学校の成績の面では、小学校とは違い、膨大なテスト範囲があったり、テスト勉強の仕方がわからなかったりしたこともあり、真ん中くらいの成績で一年が終わってしまいました。
ちなみに、委員会には、9月30日くらいを境に前期と後期があり、後期だけ放送委員会に入っていました。
2年生
2年生時には、1年生のころから生徒会に入っていた友達に触発されて、生徒会役員を目指そうと考えました。
生徒会選挙が、委員会活動の後期に当たるタイミングの直前にあったので、中学校の生徒の人に名前を覚えてもらったり、信頼してもらったりするために、前期は学級委員長を務めました。
そして、売名の効果もあり、後期からは生徒会役員を務めることになりました。
(ちなみに、生徒会で恋愛頭脳戦が行われているなんてことははありませんでした。、、、、僕がバカすぎて、気づいていなかっただけかもしれませんが。笑笑)
成績の面では、生徒会や学級委員をやったことの効果もあってか、内申点がとってもよかったです。
また、英検も2級まで取得しました。
一方サッカー部のほうでは、2年生の先輩方が引退されて、自分たちの代になった初めての大会で、都大会出場まであと一歩というような成績を残すことができました。
ちなみに僕も、レギュラーとしてみんなと戦えて本当に楽しかった記憶があります。
2年生時が僕の中学校生活の全盛期でした。
3年生
部活動が6、7月に終わり、学年が受験一色に染まっていきました。
一方、僕は高校からの卒業を目的とした留学(これ以降は卒業留学)という、ほかの人とは違った受験だったので、自分で2年生の春くらいから情報を集めていたのですが、卒業留学という珍しいタイプだっこともあり、自分の情報収集能力ではなかなか情報が集まりませんでした。
このままでは一向に埒が明かないと思い、エージェント会社さんに丸投げすることにしました。
そして、3年生の夏ごろにエージェント会社を留学ジャーナルさんに決めました。
留学ジャーナルさんは、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの、アメリカやイギリスに比べコスパが良いとされている国を得意としているエージェント会社さん(だったハズ)です。
僕の家庭も、もちろん湯水のようにお金があるわけではないので、コスパが良いという点が決め手となり、留学ジャーナルさんを選ばせていただきました。
(案件とかではないです。)
行先は、治安の面である程度安心できるカナダに決め、留学ジャーナルさんに、パスポート取得や、入学願書、ビザ申請などの手続きを代行していただいたり、高校選びや語学学校、ホームステイ先の手配などをしていただいたりしました。
カナダの高校は通常、市ごとに教育委員会があり、それを学区と呼びます(バンクーバーならバンクーバー学区、トロントならトロント学区など)。
出願の仕方を大まかに説明すると、最初に、自分が行きたい高校が所属する学区に、成績証明書、校長先生と担任の先生からの推薦状などを提出し、出願。
次に合格通知が来たら、パスポートやビザなどの申請を行う、というようなものでした。
(学区にもよりますが、筆記テストや面接はありませんでした)
僕は内申点に関しては良かったので、第一志望の高校に合格することができました。
高校はバーナビー学区(バンクーバーの東隣に位置する町)、語学学校はバンクーバーの学校を選びました。
英語の勉強は、文法力は英検2級相当のものがあったので何もせず、時間経過で忘れてしまっていた英単語をやり直したり、スピーキングとリスニングのためにネイティブキャンプさんで、1日1回だとしてもオンラインだとしてもいいから、英会話をするようにしていました。
現在(2023年)
タイ人のご家庭にホームステイさせていただいています。
8月まで
5月中旬より、バンクーバー市内にある語学学校に、週5日通っています。
最近はキク英文法を使い、もう一度文法を学びなおしています。
9月から
バーナビー学区にある高校に通う予定です。
最後に
最後までご覧くださり本当にありがとうございます。
この記事が、少しでもあなたのお役に立てたなら光栄です。
留学は、お金、語学力、治安、生活力など、大変なことが多いですが、その分、とても学びの量も質も高いと僕は考えます。
日本だけ、同じ環境だけに留まっていると、新しい価値観に出会い、常識が崩れることはありません。
しかし、留学を通して常識がぶれることで、絶対にぶれることのないもの、つまり自分自身が見えてくる、というのが僕の持論です。
大変なことも多いと思いますが、僕も一生懸命に生きていくので、皆さんも頑張ってください。